第2回(1994年) 附.講演要旨集前言

日本鍼灸臨床文献学会第2回テーマ「鍼灸臨床文献学の発展へ向けて」

特別招待講演

1.中国 銭超塵「『黄帝内経太素』について」
2.中国 銭超塵「『黄帝内経』の成立について」

特別講演

1.京都 長野仁「明治前日本鍼灸史概説」
2.神奈川 家本誠一「三才 -医学的考察-」
3.東京 戸川芳郎「古医書の成立 -素問・霊枢を中心として-」
4.東京 小池盛夫「三焦論」

一般講演

1.京都 宿野 孝「意斎流腹診術に関する一考察 -『診病奇侅』中の引用文より-」
2.京都 横山浩之「夢分流鍼術について」
3.京都 北江瀧也「『灸法要穴』の構成からみた江戸中期灸法の展開 」
4.愛媛 光藤英彦「甲乙・外台・類成・医心方における穴位主治条文の字列構成の相互関係」
5.宮城 松木きか「『甲乙経』諸版本の性格について 」
6.東京 暉峻年思子「『甲乙経』の鍼灸禁忌について」
7.神奈川 上田善信「『甲乙経』巻之三にみられる刺灸法の量的考察」
8.東京 篠原孝市「『甲乙経』における穴の主治證の研究・第二報」
9.京都 中川俊之「江戸期にみられる三焦論について -『黄扁性理真誥』を通して-」
10.京都 稲垣 元「『霊枢』骨度篇にみる数理的構造についての一考察」
11.京都 林 哲也「医経における脈状 浮・沈について」
12.東京 ○添田 均 及川ルイ子「古代中国医学における各臓器と経絡との対応(心包経・三焦経再考)」
13.京都 東郷俊宏「『黄帝内経』と馬王堆医書にみる言語世界の比較」
14.京都 猪飼祥夫「江陵張家山漢簡『脈書』にみる三陰三陽説」
15.兵庫 梅木茂樹「難経における刺法の補瀉の考察」
16.宮城 浦山久嗣「『難経集注』における呂注の位置について」
17.大阪 武中一郎「奇経と八総穴の関連性に対する一考察」

講演要旨集前言 篠原孝市「第3回大会に向けて」

日本鍼灸臨床文献学会第1回学術大会は、様々な困難を越えて、1993年3月、中医研究院より馬継興先生を招請し、無事開催にこぎつけることができた。ここで改めて御助力いただいた関係各位、および後援してくださったオリエント出版社社長・野瀬眞氏に対し、心より感謝の意を捧げたい。

前回及び今回の発表内容からもわかるように、本学会は鍼灸及び『黄帝内経』関係の研究を主要な課題としている。言うまでもなく『黄帝内経』は東アジアの医学全般に理論的基礎を与えた書であるとともに、中国古代思想的にも大きな意味を持っており、鍼灸の面からのみ論じることは必ずしも適当ではない。しかし、他方、『黄帝内経』の記述内容は鍼灸との関連が極めて密接であり、後代の鍼灸展開の経緯からしても、この両者を平行して研究していくことには十分の根拠と理由がある。またこのととは、我が国近世内経学の祖であり、かつ経穴や灸法研究に大きな足跡を遺した饗庭東庵、味岡三伯以来の伝統にもかなうものである。

本学会が標榜している<臨床文献学>という言葉は、中国でも使われているそうである。しかし私たちは以下に述べるような問題意識に基づき、この言葉に独自の意味を盛り込んで使っていきたいと考えている。

既に前回の学会要旨で述べたように、現在の我が国の伝統医学、とりわけ鍼灸の分野では、過去の学術の総体的な検討による全体像の鮮明化と個々の内容解析が未熟であるため、鍼灸の基本的な概念すら曖昧なままとなっている。また鍼灸本来の言説を踏まえないままに鍼灸の実践を行うという奇妙な状況は、鍼灸臨床の上に極めて否定的な影響をもたらした。例えば伝統的刺鍼技法と無関係に各人各様の「刺法」が横行し、浮沈滑濇といった脈診の基本的提要を無視したまま「東洋医学の脈診」が語られるようになったのである。あるいはこうした個人技的な鍼灸法のもとに『黄帝内経』『難経』のような原典、金元明医学、江戸医学、中医学、昭和経絡治療などを何の脈絡もなく混在させた結果、鍼灸を医学として系統的に研究展開させる糸口を見失ったように見える。

私たちの臨床文献学は、以上のような状況認識から出発した。つまるところ、現在の鍼灸において共通の根拠となる概念は、各人の主観的に構成された臨床にではなく、伝統的な鍼灸の文献の中にしか求め得ない。また臨床の場にいる個々人の経験は、それが<鍼灸>の名を冠して語られるのであるならば、鍼灸の伝統的な文脈を踏まえて語られなくてはならない、と私たちは考える。そうであるならば、ここで先ず行われるべきことは、現在の認識の混乱に一定の方向性をつけるため、過去の鍼灸文献の実証的検討を通じて伝統的な鍼灸の失踪を明らかにすることである。これが本学会の演題や発表内容に、医学史、中国学、書誌学などの諸分野と重なり合う部分があることの理由である。これら諸学と共同して伝統的な鍼灸文献を総体的に検討し、過去の鍼灸の状況及びその背景の思想状況を厳密かつ系統的に再構築していくことは、私たちの臨床文献学にとって不可欠の前提である。ただし、そこに留まるのであれば、それら諸学に対する臨床文献学の独自性は存在しない。文献研究による過去の鍼灸の全体像を把握することにより、初めて現在的な課題の側からのアプローチの可能性が生じる。と同時に、現在的な課題に直面することから生じた問題意識がなければ、文献はいつまでも過去の一風景でしかないであろう。そうして徹底的に検討され把握された伝統鍼灸と現在的な課題をつなぐ試みを私たちは<臨床文献学>と称するのである。

私たちはこれまでの文章の中で、一般に使われている<古典文献の臨床的解釈>という言葉を用いなかった。そうした言葉のもとに行われてきた研究が、実際には古典文献の臨床研究に十分に貢献してこなかったことへの批判を持つからである。いうまでもなく、私たちも、古典文献の解読を現在的問題の方向に解放していくこと自体には共感する。しかし<臨床的解釈>なる立場のもとに、文献解析のしかるべき手続きを怠り、甚だしい場合には文献の記述内容を曲解あるいは無視して、恣意的かつ主観的解釈を繰り返しても不毛であり、現在の私たちがおかれている閉塞状況を突破することはできない。この<臨床的解釈>という方法には、古典文献と現在的課題とを往来していく時に生ずるべき緊張感がまったく欠如している。あるいは両者の間に架橋するような言葉の発見に対する無関心が存在するといってもよい。

本学会のような志向性、内容、構成を持った学会は、少なくとも、我が国にはこれまで一度も存在しなかった。本学会での研究発表者の所属も、医師、鍼灸師、教育機関関係者など多様である。確かにこれまでにも医師、鍼灸師が医学史、中国学、書誌学などの分野の人々と合同する場所がないわけではなかったが、概ね、その関係はすれ違いに終始してきたと私たちは考える。しかし本学会ではこれまでとは異なった関係を創出し、新しい学術研究の場をめざした。そのためには私たちを含む学会参加者の意識の変革もまた必要かもしれない。研究内容や組織運営も含めて一歩一歩試行錯誤しつつ、今後とも粘り強く進んでいく所存である。

この度、中国医学研究の権威である北京中医薬大学の銭超塵教授をお迎えし、また国内からも新たに多数の熱心な研究者の方々の参加を得て一層充実した形で第2回学術大会を開催できることは、私たちの望外の慶びとするところである。多くの皆様のご協力とご支援を切にお願いする。

 大会日程:1994年4月8日~10日 大会会場:ウィングパル京都(京都府青年会館)4F大ホール
主催:日本鍼灸臨床文献学会 後援:株式会社 オリエント出版社