第1回(1993年) 附.講演要旨集前言

日本鍼灸臨床文献学会創立記念テーマ「鍼灸臨床文献学の確立を目指して」

特別招待講演

1.中国 馬継興「宋以前中国鍼灸通論」
2.中国 郭靄春「『黄帝内経』の形成」

研究発表

1.京都 長野仁「吉田流鍼灸書からみた日本鍼灸再興期」
2.東京 篠原孝市「『甲乙経』における穴の主治證の研究」
3.京都 森和「鍼灸医学における文献学的アプローチ」
4.宮城 松木きか「『素問』と『霊枢』の成立」

一般講演

1.京都 北江瀧也「『経穴機要』『医学詳解』『灸焫要覧』の選穴からみた饗庭・味岡流灸法の展開」
2.京都 平田尚子「東洞流古方の経絡無用論と『宮門流鍼書』 」
3.愛知 楠本高紀「『経穴彙解』『経穴籑要』の引用等にみる近世経穴書の構成」
4.宮城 浦山久嗣「『外台秘要方』巻第三十九について」
5.東京 暉峻年思子「『甲乙経』巻之三における刺入量について」
6.神奈川 上田善信「『甲乙経』巻之三における灸の壮数について」
7.京都 中川俊之「『黄帝内経』における三焦の諸概念」
8.京都 稲垣 元「『黄帝内経』における胃気について」
9.京都 横山浩之「『黄帝内経』における邪の諸相」
10.京都 直井 明「張仲景書にみられる鍼灸法の研究」
11.京都 林 哲也「『黄帝内経』における脈状 浮・沈について」
12.京都 東郷俊宏「中国における『内経』音韻研究の歴史とその理論の適用について」

講演要旨集前言 篠原孝市「要旨」

鍼灸の問題は、いうまでもなく直接的に医療の問題である。医療である以上、単に技術面の事のみならず、必ずや人之心身の<違和>、さらに<生死>ということをどのようにとらえるかという課題に直面する。そのような意味から鍼灸の実践とは人間の存在に関わる相当に深い内容を含んでいる。そのことは、古来、鍼灸についての多くの文献が著され、あるいは論じられてきたことからも明らかである。その内容は深くしかも豊かであって、小手先の対応、浅い検討によって処理し得るものではない。我が国の鍼灸関係者は、1920年代以降、伝統的な鍼灸の内容を検討し、臨床に生かすべく様々な研究を積み重ねてきた。それから半世紀余が経過した今日、伝統的方法を部分的に活用した擬似古典医学的な鍼灸には事欠かないが、過去の鍼灸医学総体の詳細な検討による鍼灸の全体像の鮮明化と内容の解析、徹底した基礎形成には依然見通しが立っていない。教育機関で教授されるべき鍼灸の基本概念すら依然不明瞭なままである。例えば、経脈、経穴、虚実補瀉、九鍼、刺鍼の深度、灸の壮数、経穴の主治證、脈診等という直接実践に関わる鍼灸の根幹を形成する重要な部分について、個人の主観的経験以外、ほとんど根拠あることを言うことができない。私たちはそれらが過去にどのような基準と内容で行われていたのか、またその論理的根拠はどの様なものであったのかほとんど知らない。したがって、これらの問題について統一的見解が存在しないのはもちろんのこと、それを討論し得る共通の基盤さえ存在しない。かえってその根拠の薄さが個々人の独断の弊に陥らせる傾向すら見受ける。

これまでの鍼灸医学の在り方とその根拠を明らかにすること、またそれを形成した医学思想の成立、変遷等を明らかにしていくには、いうまでもなくただ現在の個々人の臨床体験を語ることのみによっては行われない。個々の異なった環境の中で培われてきた主観的な経験は、そのままの形では対話することも、接合することも不可能である。切実な臨床経験を持つ個人は、他人の経験に説得されたりはしない。私たちは、共通の根拠となる概念は伝統的な鍼灸の文献の中にしか求め得ないと考える。個々の経験は、それが<鍼灸>と呼ばれるのであれば、<鍼灸>の伝統的な文献をふまえて語られなくてはならない。また<鍼灸>がどのような立場、角度から研究されようと自由であるが、それはあくまで<鍼灸>自体の基礎が確立した上でのことである。

鍼灸の根拠を獲得するためには、文献の研究から始めなくてはならない。この研究は一等資料が入手困難であった1980年以前には、事実上不可能であった。それらの資料が出そろった現在、初めて現実化した課題といえよう。また、すでに過去においても僅かにこうした本質的な研究への志向をもった部分は存在した。しかし、その声は大きなものになることはなく、必要な基礎研究、あるいはそのために必要不可欠と認められる文献の研究は、遅々として進まなかった。今日でも我が国の鍼灸の世界では、恣意的でおざなりに文献を扱って事足れりとする態度、極端には臨床と文献は無関係であるとする俗論さえ、いまだ幅をきかせているからである。このような状況を鑑み、私たちの考えるような徹底した研究は、従来の研究団体、諸組織等によっては困難であるとの結論に達した。

本学会の目的とするところは、伝統的な鍼灸諸文献の検討を通じ、鍼灸医学の実相を明らかにしていくとともに、それを相互に検討し得る共通の基盤を形成することにある。

いうまでもなく、鍼灸医学は長い歴史を持つものであり、時間的にも空間的にも様々な様相を見せている。また特に古い部分については、それを研究する資料が少ない上に、伝承過程での誤写、再編という問題が絡んでいて、その内容解析には複雑な手続きを必要とする。少し具体的にいうと、例えば『素問』『霊枢』の場合、成立と伝承について多くの議論があり、その結論の取り方によっては経文の解釈に大きな差異を生じることになる。それは『素問』『霊枢』の各篇の章句がどの様な前後関係で成立したか、各篇の内容の矛盾をどうとらえるか、それらの錯綜した内容を背景に、どの様な体系が浮かび上がって来るかという問題である。こうした問題をまったく無視した形では、内容検討はもちろんのこと、その臨床応用すらきわめて根拠の曖昧なものとなることは当然である。

また私たちの研究対象の範囲は、ひとり中国の原典の範囲内に留まるものであってはならない。我が国の鍼灸の研究はただその部分にのみ力点をおいてきたが、本当に必要なことは各時代、各地域の鍼灸の様相をとらえていくことである。研究の対象は、中国では宋以降の鍼灸、我が国への影響が少なくない朝鮮の鍼灸、そして当然我が国の鍼灸の全体に及ぶ。また相互の関係(例えば、明代鍼灸と我が国の吉田流の関係など)にも及ぶこととなる。我が国の鍼灸古流の研究について触れておくと、それらの臨床応用のためには、その背景となった診断治療体系に対する理解、流派による経絡・経穴観の系統的把握、個々の鍼灸医家の業績の発掘等が不可欠である。例えば、杉山流の研究ではその先駆的な流派である入江流の研究は当然であるが、杉山流の診断体系の形成に大きな影響を与えた明の張介賓の影響も見逃せない。なお、鍼灸の論理、概念、方法を時間的、空間的な変遷と異同もふまえて研究するばかりか、その背景となる医学思想の研究も平行して行われていかなければならない。また、文献を扱う以上、その文献学的、書誌学的アプローチも必須である。

ここで、学会の在り方についても触れておきたい。相互討論可能な共通の基盤形成のためにも、本学会では研究発表において、立論の根拠としての文献、及びその解釈の全課程が、誰にでも批判できる形で逐一明らかにされることが必須の条件となる。これは、従来の鍼灸の諸学会で行われてきた閉鎖的で一方的な発表のスタイルを方法的に越えることを目指すためである。

本学会が取り上げる研究テーマは、現在の鍼灸臨床に深く結びついたものであるとともに、鍼灸に対する現代医学側からのアプローチに対しても深く関わっている。また今後の研究を通じて中国と日本との医学の流れの分離、断絶という状況の克服も課題にいれていきたい。私たちは浅学ではあるが、これまでまったくおざなりにされてきた問題に取り組むことにより、順次、新しい発見と認識の確率が果たされると思う。また特に私たちが志向するのは、こうした研究の国際的な交流であり、広がりである。今後は中国、朝鮮の研究者とも手を携えて研究を行っていきたいと思う。多くの方々のご協力、ご指導を期待する。

 大会日程:1993年3月27日~28日 大会会場:京都府青年会館4F大ホール
主催:日本鍼灸臨床文献学会 後援:オリエント出版社